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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)729号 判決 1976年4月13日

原告 土橋富治

被告 金澤きよ 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

原告訴訟代理人は、

一  原告に対し、被告金澤きよは金一〇二万九五〇〇円、同金澤俊之及び同金澤恵子は同金澤きよと連帯して右金員中それぞれ金三四万三一六六円の各支払をせよ。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二主張

原告訴訟代理人は請求の原因として、

一  原告は昭和四四年一月二二日、左記の不動産(合計六〇〇坪)をそれぞれその所有者である訴外真勝寺(代表役員訴外亡金澤元貞)及び被告金澤きよから以下の約定で買受けた(以下「本件売買契約」という)。

(一)  目的物(以下総称して「本件土地」ともいう。)

<1> 千葉県君津郡上総町市場八七六番二

宅地 登記簿上七三坪三五

<2> 右同所同番六

山林 登記簿上一畝一〇歩

<3> 右同所同番七

宅地 登記簿上二七二坪一五

以上三筆の土地の所有者はいずれも訴外真勝寺である。

<4> 右同所同番一

畑 登記簿上二畝二七歩

<5> 右同所八八〇番

以上二筆の土地の所有者はいずれも被告きよである。但し右八八〇番地の土地は分筆して右<1>ないし<4>の土地と併せて合計六〇〇坪とする。

(二)  代金 合計六〇〇万円(坪当り一万円)

(三)  宅地及び山林の移転登記は同年二月末日までに完了し、畑の登記は同年一二月末日までに完了する。

(四)  代金の支払は同年二月四日までに完了する。

(五)  右各条項に違反したときは、原告と訴外元貞・被告きよとは相互に一日の履行遅滞につき金五万円の割合による違約金を支払う(元貞は真勝寺の代表役員であるほかにきよの夫であり、本項(一)記載の土地所有者ではないが、原告に対して特に違約金支払の債務を負担したものである)。

二  原告は同年一月二二日、右代金中六〇万円を支払い、同年二月五日に残金五四〇万円を支払つた。

三  真勝寺は同年二月六日に第一項(一)<1>ないし<3>記載の土地について原告に対して移転登記手続を了したが、同<4>記載の土地、即ち八七六番一の土地の原告への移転登記が完了したのは翌昭和四五年五月二二日のことである。これは原告が右土地について終始その移転登記について協力する姿勢を示していたにも拘らず、被告側の故意又は怠慢によつてこのように遅延したのである。

なお八八〇番の土地については後日、八七六番二の土地に縄のびがあつたために右土地については分筆の必要がなくなつたとし、原・被告ら立会の下に境界石を入れることによつて解決した。

四  八七六番一の土地について、本件契約で定められた移転登記の期限の翌日である昭和四五年一月一日から現実にその登記がなされた同年五月二二日までの一四二日間で違約金は合計七一〇万円となるが、不履行分は六〇〇坪中八七坪であるのでこれに相当する違約金は右金額に六〇〇分の八七を乗じて金一〇二万九五〇〇円となる。

五  元貞は昭和四五年五月二六日に死亡し、その妻である被告きよ並びにその子である被告金澤俊之及び同金澤恵子が元貞の権利義務を各三分の一宛相続によつて承継した。

六  よつて原告は前記契約に基づき、被告きよに対して右違約金一〇二万九五〇〇円、同俊之及び同恵子に対してきよと連帯して右金員中それぞれ金三四万三一六六円の支払をなすことを求める。

と述べ、抗弁に対する認否として、

一  第一項は否認する。原告は本件土地に対する所有権を確保するために当初から登記に強い関心を有しており、そのため特に本件契約に違約金の条項を加えたのである。従つて原告における土地使用上の具体的な損害の発生の有無は被告らの違約金支払の義務とは無関係である。

二  第二項も否認する。被告主張の日時に現地において、双方立会の下に土地の境界について木抗を打つたことはあるが、これは前記八七六番二の土地の堺界を明らかにしたのみであり、違約金の処理に関する合意は何ら成立していない。

と述べた。

被告訴訟代理人は、請求の原因に対する認否として、

一  第一項は(五)を除いて認めるが、(五)の部分は否認する。契約の当事者は土地所有者であつた真勝寺及び被告きよであつて元貞個人は無関係であるのみでなく、本件売買に当つてはお互に相手方の履行を信頼していたものであつて原告の主張する違約金条項はもともと拘束力を有しなかつた。

二  第二項は認める。

三  第三項前段のうち、各土地の移転登記日時が原告の主張通りであることは認めるが、その余は否認する。本件契約の違約金条項が仮に拘束力を有するとしても、それは被告側が故意に移転登記手続を遅延させた場合に限る趣旨であるところ、八七六番一の土地について移転登記が遅れたのは、原告が本件土地中の一部に崖があるがこれは売買の目的物となつていないからその分だけ土地面積が契約の六〇〇坪に不足すると抗争したこと及び原告が農地である八七六番一の土地の転用許可申請の手続に協力しなかつたためである。 同項後段は認める。

四  第五項は認め、第六項は争う。

と述べ、抗弁として、

一  本件契約の違約金条項が仮に有効としても、これは原告の現実の土地使用に差支えがなければ違約金は取らないという合意ができていたところ、原告は昭和四四年三月末から本件土地上での工場建築に着手し、同年五月頃から右工場で操業を開始しているのであるから、八七六番一の土地の移転登記の遅延による損害は原告に全く発生していない。

二  昭和四六年三月一〇日、原告、きよ、訴外土井芳松及び同高沢幾雄ら立会の下に原・被告間の土地の堺界石を入れ直して被告側から原告に売渡した土地の範囲を明確にすると共に、原告は被告らに対する違約金請求権を放棄して原・被告間の紛争を一切解決する旨の和解が成立した。

と述べた。

第三証拠関係<省略>

理由

一  請求の原因第一項については、(五)を除いて当事者間に争いがない。

そこで本件で争点になつているその違約金条項について検討する。成立に争いのない甲第一号証(土地売買契約書)を見るに、一瞥して素人の作成にかかるものと認められ、売買目的物の表示においても当事者間に争いのない八七六番七の土地の記載を脱落させているなど不備が目立つけれども、売買契約の内容についてはほぼ原告主張通りの記載がなされていると言うことができよう。ところで、同号証末尾の契約当事者の署名捺印を示す趣旨の箇所には、原告名のほか金澤元貞及び金澤きよの名が表示されているのであるが、右契約書には「売主金澤元貞、金澤きよヲ甲トシ、買主土橋富治ヲ乙トスル。」という記載があり、また「物件表示」の欄に「八七六ノ二宅地」等について「真勝寺所有」という記載があることに照してみれば、右末尾の「金澤元貞」という表示は本件土地の一部の売主である真勝寺を意味するものとして、真勝寺代表役員である金澤元貞の名が記載されたもの、と解するのが相当である。

そこで更に右契約書の違約金条項を見ると、「契約事項ニ違背シタル時ハ甲乙トモ(中略)相互ニ支払」と記載されているのであるから、違約金支払の主体は本件契約の当事者である甲及び乙、即ち原告のほかには土地の売主である真勝寺及び被告金澤きよであることになる。

原告は、違約金支払の債務を負担した者は被告きよのほかに金澤元貞個人であると主張するが、右違約金条項が「甲・乙」という表示によつて本件売買の当事者を指していることが明らかであるばかりでなく、原告主張の如く解すると、右売買契約書には違約金支払の当事者のみの表示が残り、土地売買契約書でありながら本件土地の売主の表示がないことになつてしまうのであり、金澤元貞が土地の売主である真勝寺とは別に個人で原告に対して違約金債務を負担したというように解釈することは不自然であつて到底採用し得ないものであると言わなければならない。この点に関しては原告本人も、当裁判所の本人尋問に際して、前記契約書にある「金澤元貞」とは真勝寺代表役員の意味であり、元貞個人が違約金を支払う話はなかつたと供述しているのである。従つて金澤元貞個人が原告に対する違約金債務を負担したことを理由とする元貞の相続人である被告金澤俊之及び同金澤恵子に対する違約金支払の請求はこの点で既に失当であるというほかはない。

二  次に被告金澤きよに対する請求について検討する。

請求の原因第二項及び第三項の事実、即ち原告は昭和四四年一月二二日本件土地の代金の内金六〇万円を、同年二月五日にその残金五四〇万円を支払つたが、八七六番一の土地の原告への所有権移転登記は翌昭和四五年五月二二日まで遅延した事実については当事者間に争いがない。従つてここで契約書の前記違約金条項の適用について判断すべきことになる。

まず違約金支払の義務を負うのは前示の通り、原告のほかは真勝寺と被告きよであるが、契約文言上は真勝寺及びきよを併せて「甲」と表示しているのであるから、まずきよの債務不履行に対して違約金を支払う債務を負担するのはきよのみであるのかそれともきよ及び真勝寺であるのか、而して後者の場合には分割債務になるのか連帯債務になるのかという点が明らかでない。原告本人尋問の結果によれば、原告本人も右違約金条項が種々に解釈され得ることは承知しながら、その意味を深く検討することもなく、相手が寺であるから取引に間違いはないだろうと考えていた事実を認めることができ、この点からすると、単に原告は右違約金条項の意義を十分に理解していなかつたというだけでなく、本件売買契約締結にあたつては違約金の支払について十分な合意は成立しておらず、単に形式的に挿入された辞句に過ぎないのではないかと考える余地も多分に存するのである。

また原告の真勝寺側に対する本件土地の残代金の支払が契約に定められた昭和四四年二月四日から一日遅れた同月五日になされたことについては当事者間に争いがないが、この点については原告本人は、二月四日は家人に日が悪いと言われたため、その旨を元貞に連絡して支払日を翌五日に延ばしたが、そのための違約金は真勝寺にもきよにも支払つていないと供述している。原告の残代金支払の遅延はたつた一日に過ぎないといえ、本件売買契約上は違約金は一日について金五万円という日単位の定めであつたことが前記甲第一号証の記載によつて明らかであるところ、それにも拘らず、この点について原告が元貞への一片の連絡によつて済ませているという事実からは、ほかならぬ原告自身右契約金条項をほとんど気にも留めていなかつた事実が推認されるのであつて、これによつても前記の違約金条項は単に形式上のものに過ぎなかつたのではないかという前示の疑念が強まるのである。

更にまた違約金の額が一日について金五万円という非常な高額に定められていることにも注目せねばならない。

原告本人尋問の結果によれば、違約金の条項は本件売買契約締結にあたつて原告が契約内容に盛込むことを主張したため、元貞が即座に契約書に書込んだものであると認めることができる。原告及びきよ各本人尋問の結果によれば、本件売買契約は原告と元貞との間で締結され、その際元貞は真勝寺代表役員の資格にきよの代理人の資格を兼ねていたことが明らかである。ここで元貞がきよから原告との間で違約金についての合意をなす代理権までは授与されていなかつたのではないかという点はさておくとしても、一日五万円という金額は前示の通り結局元貞のその場での思いつきとも言えるもので、契約不履行の際に果して真に一日五万円の割合による違約金を相手方に支払い、又は相手方に請求する意思を有していたのかどうか甚だ疑わしいとせねばならない。蓋し、一日について五万円とするならば例えば一箇月の履行遅滞は実損害の如何に拘らず忽ち金一五〇万円の支払債務に膨れ上るのであり、代金の一部の支払の遅延或いは売買目的物中一部の土地についての移転登記の遅延に対しても一日五万円の割合による違約金を計上せねばならないことになるが、売買代金が全額で金六〇〇万円に過ぎない本件売買において、双方当事者が真にそのような意思を有していたと断ずるにはどうしてもためらいを感ぜざるを得ないのである。なお証人土井芳松及び同高沢幾雄の各証言によれば、元貞は原告が本件土地上に建築しようとしている工場の操業に支障があれば違約金を支払わねばならないと考えていた事実が認められるが、ここにも原告と元貞との間で本違約金条項の意味について理解の相違があつたことが窺われると言えよう。

次に証人土井芳松、同高沢幾雄及び同鈴木真一の各証言並びに原告及びきよ各本人尋問の結果によれば、本件売買の後、八七六番一の土地の移転登記が昭和四五年五月に完了した後も、原告が、本件土地の一部に崖があり、その部分は売買の目的物に含まれていないから、結局原告の買受けた土地の面積は当初の売買契約で定められた六〇〇坪に不足すると主張したため、昭和四六年三月一〇日に至つて双方当事者立会の上、きよ所有の八八〇番の土地に新たに境界石を入れ、右土地のうち約二三坪の部分を原告に譲渡することによつて売買の目的物の範囲については、完全に和解が成立したこと及び右和解の当日、前記八七六番一の土地の移転登記が遅延したことによる違約金の話は具体的には出なかつたが、被告側では右和解によつてそれまで原告が主張していた違約金の件も含めて原・被告間の一切の紛争を解決させたものと理解していた事実を認めることができる。原告は、右和解の日に違約金の話は出なかつたのであるからこの点については未だ解決された訳ではないと主張するが、八七六番一の土地に関する移転登記の遅延は約定の日(昭和四五年一二月末日)から一四二日間に及んだのであり、その間の違約金は契約書の文言を形式的に適用すると合計七一〇万円に上つているのであるから、本件売買代金の全額を上回る巨額の違約金債務について、和解の際に原告からも被告側からも何ら話題に出なかつたというのは違約金条項の拘束を考える限り甚だ不自然な事態であると言わなければならない。むしろ、これが話題に出なかつたのは、原・被告双方とも、本件売買の目的物中一筆の土地についての登記遅延による違約金債務などはもとより念頭になく、当時における紛争の主要な争点が本件土地の実測面積の合計やその移転登記の具備自体にあつたからである、と見るほうが事態を理解し易いのである。

三  以上認定の諸事実によれば、本違約条項について、本件売買の双方当事者が債務不履行の態様、程度の如何を問わず右条項に従う意思を有していたとすることには疑問が残り、原告主張通りに解することはかなり困難であるとせねばならない。

もとより土地については移転登記を具備しない限りその所有権の取得を第三者に対抗し得ないものであるから、原告として本件土地に対する移転登記手続を強く要求したとしても当然であり、仮に本件土地に対する原告の当座の使用に差支えがないとしても本件土地、就中移転登記の未了であつた八七六番一の土地の所有権を喪失する可能性があつたことは否定することができない。従つてこの点からすれば、本件契約に違約金条項を盛込むことによつて被告側の移転登記義務の履行を担保しようとしたのも一応もつともであると言えよう。

ところで成立に争いのない甲第三号証によれば、右八七六番一の土地について、昭和四四年二月六日受付をもつて原告に対する条件附所有権移転仮登記がなされていた事実が認められ、右仮登記の件は成立に争いのない乙第四号証(鈴木喜一の昭和四四年度の日記)の一月二一日(これは本件契約の前日である。)欄の記載にも現われている。右各事実からすれば、八七六番一の土地については当時農地であつたために直ちに原告名義の移転登記ができないことを慮り、本件売買契約締結と同じ頃、とりあえず仮登記を了しておく旨の合意が双方当事者の間に成立しており、訴外鈴木喜一の如く当事者の周囲に居た者にもこれが知られていた事実を推認することができる。右認定に反する原告本人の供述は措信できず、他にこれを左右するに足りる証拠は存しない。即ち八七六番一の土地については、本件売買契約締結の後、直ちに原告名義の所有権移転仮登記がなされたのであるから、結局原告が右土地に対する所有権を被告側の二重譲渡によつて喪失する危険性はなかつたものであると言わねばならない。

前項において詳述した通り、本違約金条項はその内容が甚だ不明確なものでありながらその金額が異常に高額なものであるから、債務不履行の態様によつては、原告・被告の如何を問わず債務者となつた者にとつて予想外の結果を招くことになりかねない。そのような事態の到来が当初から本件売買契約の当事者の意思であつたとは考え難いところであるから、結局本件契約の違約金条項を箇々の事態に即しその具体的な効果と対応させて検討するほかはない。本件において、少なくとも八七六番一の土地に関しては、被告の原告に対する義務は本違約金条項との関係では前記仮登記の手続による原告の土地所有権の保全によつて一応尽されていると考えることができるのである。

八七六番一の土地の原告への所有権移転登記が原告の主張する約定の日から一四〇日余後に遅延したことは事実としても、原告の主張する違約金は要するに前記甲第一号証(売買契約書)を唯一の拠り所とするものであるが、右契約書の内容及びこれに対する双方当事者の理解の実態が前記判示の通りである以上、本登記遅延の原因の所在等その余の事実について判断するまでもなく、本件の場合には原告が主張するような法的効果は生ずるに由ないものであると断ずるほかはない。

四  以上の判断によれば、結局原告の本訴請求は前記判示の段階において既に理由がないことに帰するからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文の通り判決する次第である。

(裁判官 倉田卓次 井筒宏成 西野真一)

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